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工藤 優子 会社代表



             田舎生まれの私は、小学校の頃、姉が通っていた英語の塾について行っていたのが、きっかけとなり英語に対して興味を持ち始めました。県主催の青少年英語合宿やセミナーなど積極的に参加し、オーストラリアの女の子と文通を始めたり、いつしか、海外にて勉強したいという大きな夢が友達を通じてでてきました。

             日本にて大学を卒業し、アメリカのテネシー州にある大学へと編入しました。本校生になれるまでは、さらなる英語の勉強の日々。「どうしてここまでできないんだろう。」と、自分の力のなさを思い知り、泣いた日々。どうやったら英語が悠長に話せるようなるのだろうか、悩んだ日々。辛いこともたくさん経験しました。そんな日々から脱出できたのは、現地の友達ができた時でした。今でも大親友のOctober Shanon Clark(十月)。彼女は、寮のルームメイトでした。会っても挨拶だけ、特別に声もかけず、部屋にこもっていた私に、いきなり、「Yuko, You don’t like me??! Did I do anything wrong to you? 」今まで、ためていた涙がいっきに溢れでたのを今でも覚えています。自ら心をとじ、誰からか話してくれるのを待っていたのみの自分。今まで人からして頂いたことへの感謝、そして、自分自身が行動することの重要さを改めて思い知りました。その後の大学生活は、あっという間。数学には、自信があり、十月を初め、他の学生にも数学の指導をしていました。こういったコミュニケーションを通じて英語を話すことが自然となり、また、自信にもつながり、より多くの人とコミュニケーションをとることができるようになりました。そして、本校生へ進み行動科学を(Behavioral Science)専攻し、卒業することもできました。(BA取得) 帰国の日は、涙涙。。機内でも涙がともらなかったことを今でも覚えています。いつか、アメリカへ帰ってくる。と、機内の空を見ながら決心していました。

             帰国後、初めての就職先は、地元の小さな語学学校でのマネージャー業務。就職新人の私が、いきなりのマネージャーというポジション。ものすごいプレッシャーで業務をしておりましたが、スタッフの方々や講師の方々が非常に協力的にサポートもしてくれ、有意義な新人就職経験をさせてもらいました。実家での有意義な生活も、いつの間にか、これでいいのか?と、自問自答するようになり、福岡へ単身生活をすることを決心しました。

             再就職先は、福岡にある専門学校の広報という部署で、業務内容は、学生募集や、広告原稿作成、そして地方へ行き、学校説明等々、でしたが、新人の私、しかも、気が強い性格でしたので、先輩としては、かわいくない新人でした。日々の業務はパンフレットの発送業務や、1階から7階までのトイレ掃除でした。なんとも面白くもなく、自分でも何やってんだ。って、ただ、先輩にたいして、「ちくしょー」と思う毎日でしたが、自分の中で、「きっと、誰かは、きちんと自分の頑張りを理解してくれる。」と、信じ、トイレ掃除の毎日も一生懸命やってました。その約半年後、国際部という新しい部署を立ち上げるということで、私が抜擢頂きました。辞令を頂いた時は、ガッツポーズ。「トイレ掃除しててよかった」と、意味もなく思っていました。さて、新部署、何もかもが立ち上げからでしたので、周囲の協力も非常に必要とされ、トイレ掃除以上の厳しさも経験しました。ここの専門学校は、色んなIT、テクニカルなどのコースがあり、その専門分野をもっと国際的な視点を磨くというモットーにて、海外への研修、英語のレッスン、そして海外の提携校へ留学など、生徒へ英語の指導、そして海外生活のコーディネートなどを幅広く行っていました。学生のエネルギーはすごいもので、自分の夢へ向かって一生懸命頑張っていた姿に何度も感動させられた日々もあり、生徒から学ぶことも多く、勇気付けられたこともあります。教員として、貴重な体験ができました。

             その後、もっと英語に関わる仕事をしたいという要望で、大手英会話学校のスクールマネージャーとして転職しました。小倉校、天神校とスクールマネージャーとして、生徒管理、講師管理、営業、などなどしておりました。名前はかっこいい“スクールマネージャー”ですが、当時、ポスターなどを、飲食店等に貼らせてもらうため、寒い雪の中を自転車ではしりまわっていました。また、何千ものチラシを翌朝の手配りのために夜中まで折っていたこと、などなど。営業の基本から学んでいきました。いかに生徒を集めていくのかの営業業務が主にしておりました。ただ、営業の喜び、私の貼ったのポスターをみたり、チラシを手にし、学校へ訪問してきてくれた人をみると、感動でした。学校内でもさまざまな衝突もありました。外国人講師とも、なかなか最初はうまくいきませんでした。あるアメリカ出身の講師には、面と向かって「あなたのやってること好きではないし、前のマネージャーの方がよかった」などなど、そこまで言わなくてもいいんじゃない。ということまで、言ってくれました。ここで、また、「ちくしょー」の日々が始まったのですが、前職のトイレ掃除同様、いつか成果がでることを信じ、前向いてただ、走っていました。結果、生徒数も伸ばすことができ、いつしか、彼女から言われた言葉も忘れていたのですが、ふいに、その彼女が、私のところへやってきて、「あの時は、ごめんなさい。」と、また、感動。その後も、たくさんの泣いた、笑った日々を送っていました。学校勤務2年たった頃、本部への移動となり、エリアの学校を6校や8校管理するようになりました。その後、副支社長としても部下育成や決算業務にも携わっていきました。ある程度、自分の中での仕事に対しての第一ゴールも果たしたと思い、今後は、嫁修行と思っていた矢先、海外への辞令がでました。自分の中でも一生懸命働いたので、少し、休憩をし、今後の自分が進むべき道を確認したい。と、思っていたのですが、父から、「これもせっかくのチャンス。やってみなさい。」この一言で、安心し、納得して決心できました。

             これも一つのご縁を頂いたと思い、まずは、タイ、バンコクへ出向。マーケティング、生徒や講師管理、そしてレッスンスケジュールや、広告作成などなど、日本ではありえないことだらけが起こることも海外。海外の仕事の厳しさを痛感しました。その半年後は、ロサンゼルスへ移動となり、ロサンゼルスの学校のマネージャーとしての業務。アメリカへ仕事として戻ってきた今、学生の時代の日々がよく思い出されました。学生時代の当初のように、辛い日々。休みなく、働いた日々。いくら英語ができるといっても、管理者が現地の部下を育成するための語学はかなり違うもので、新たなスタートラインにたった日々でした。しかし、どこにいても「ちくしょー」根性は変わりません。自分を信じることしかないのです。だって、自分は決して自分を裏切ることはないですから。言葉の壁を痛感した日々でしたが、スタッフとわかりあえ、笑いあった日々など。忘れられない財産です。

             そして、今、一人の働く母親、そして、女性としての新たなスタートライン。今までの経験が、きっと、誰かの役に立てると信じ、自分の会社を設立しました。これからロサンゼルスへ留学を希望している方、そして、ここロサンゼルスにて語学の壁に向かって頑張っている方の応援団として、お役にたちたいと思っております。

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